親指プライバシー

“Il Fatto Quotidiano”誌に掲載されたこの記事には、ローマの機動警察隊員が一人の男を連行する際の画像が添えられているが、その一部にはモザイク加工が施されている。しかしながら、加工されているのは、カメラマンの前で意味深な表情を浮かべる犯罪者の顔ではなく、もはや全世界の共通語となった”いいね”を意味する、親指を立てた、その手なのである。

連行されている男の、どこかソワソワしたような表情は、映画祭のレッドカーペットを歩くスターや、勝利を祝うスポーツ界のトップアスリートのそれと何ら違いはなく、見る者に、悪逆非道な行いをすることで有名になれる(「ナルコス」や「ゴモーラ」などのテレビ番組のように)というような誤解すら招きかねない。

この、罪を犯した人間による”立てた親指”が示すものは明らかである。つまり、テレビや映画の中の作られた”栄光の瞬間”への欲望は、新聞の事件欄に出てしまうような事態においてさえ、何がなんでも注目を集めいたいという”知名度への渇望”に変化を遂げたということだ。

連行される男の画像の一部にモザイクを施すことを、一体誰(カメラマンもしくは編集者)が決めたのかは知る由もないが、いずれにせよ、もはや親指にも彼らのプライバシーを守る肖像権があるのだと考える以外に、この件についての賢明な判断を下すことはできない。

人工知能と”中性形”の重要性

ジャーナリストのシモーネ•コジミ氏は、レプブリカ誌に掲載された記事において、「囲碁(中国由来のゲームであるが、何世紀も前から日本や韓国で親しまれており、氏も文中では”碁”(go)という日本での名称を用いている。)において、コンピューターは人間よりも強い。」という、お決まりの主張を再提示している。

厳格な意味論は別として、コンピューター(ソフトウェアと言った方が良いかもしれないが)が人間よりも「強い」というのは、もうニュースとは言えない。本当に優れたコンピュータープログラムを使ってトレーニングしているチェスのプレーヤーであれば、誰もが知るところであるが、一般向けに開発されたソフトウェアでさえ、その世界のプロ、さらにはチャンピョン達を困難に陥れるほど進化しているということは、もはや周知の事実なのである。

しかしながら、そこから「人間より知能の高いシステム」という表現に至る(あるいはそのように暗示させる)のは、いささか早計ではあるまいか。それはまるで、どんな優秀な溶接工にも出来ないような完璧な技術を持つ溶接ロボットに”思考力”があると言っているようなものである。

そこで私は考える。問題は、言語表現における”中性形”というカテゴリーの不在(消失と言うべきかもしれないが)にあるのではないか。言葉によって惑わされていることもあるのではないだろうか。ソフトウェアは学習もしなければ、記憶も、そして理解もしない。彼らに出来るのは、様々な自動制御レベルで備わっている機能を、ただ変更することだけである。

科学的な概念について、専門用語を羅列することなく表現するためには、我々が日常的に使っている”普通”の言葉は役に立たない。(例えば、ドイツの哲学者イマヌエル•カントは、著作「純粋理性批判」の中で、実に13種類もの異なるニュアンスで、「超越論的な」という単語を使用しているが、それらは我々が日常的に使用する言葉の中にはない表現である。日常的に使用する言葉で、専門的な科学の概念を正確に表現することは不可能なのであるが、大衆に分かり易く伝えるためには、より単純な言葉を用いる必要があることも、また避けられない事実である。しかし、それによって言葉が持つメッセージを誤って解釈することも起きてしまうのである。

もし私が、囲碁の対局に関する記事で人工知能について触れるとして、”人工知能”という名詞を女性形で表現する場合、私はべつに、この人工知能が人間のような存在、ましてや女性であるなどと言いたいわけではないのである。しかしながら、主語である”人工知能(ソフトウェア)”という名詞が女性形であることにより、読者の意識の中では、ソフトウェアがまるで人間のようなものである、というような考えが芽生えてしまうのである。 もし我々がイタリア語ではなく、まだラテン語を話していたならば、女性形でも男性形でもない中性形を用いて、人工知能について語ることが出来たであろう。そして読者は、それが人間が作った素晴らしいテクノロジー機器についての話題であり、決して人間について語っているものではないのだと、すぐに理解することが出来たであろう。

新世紀エヴァンゲリオンのイタリア語版の翻訳はとても悪いです

新世紀エヴァンゲリオンのイタリア語版の翻訳はとても悪いです

これは、アニメーションの作者が自分の作品を尊重する権利を侵害します。

イタリアのNetflixは放送を中断して新しいバージョンを作成しました。

しかし、アニメーションへのダメージはすでに行われています。

「一般データ保護規則とイタリアデータ保護法」

NEAR Project(Jean Monnet Networks)共催

<NEAR: A New Dimension in Asia-Europe Relations: Exploring EU’s Global Actorness and Strategic Partnership in Asia (China, India, Japan and South Korea)>

116th Keio Jean Monnet Workshop for EU Studies

第116回 慶應EU研究会のお知らせ 日頃よりお世話になっております。

各位

以下の通り第116回慶應EU研究会のご案内をお送り致しますので、よろしければ是非ご参加下さい。

日時: 2019年 7月19日(金)17:00~18:00
Date: 19 July 2019 17:00-18:00

研究報告 (EU研究ワークショップ・EU法セミナー):

場所: 慶應義塾大学三田キャンパス南館地下1階2B15教室

Venue: B1st Floor, Room 2B15, South Building, Mita campus, Keio University

「一般データ保護規則とイタリアデータ保護法」

(英語)

アンドレア・モンティ弁護士(イタリア)

(イタリア・キエーティ=ぺスカラ大学非常勤講師)

“General Data Protection Regulation and the Italian Data Protection Law”

(English)

Sig. Avvocato Andrea Monti
Adjunct Professor, Università di Chieti-Pescara

庄司克宏(Katsuhiro SHOJI)
慶應義塾大学大学院法務研究科(法科大学院)教授
Professor, Law School, Keio University
ジャン・モネ・チェア(Jean Monnet Chair ad personam)
ジャン・モネEU 研究センター(慶應義塾大学)所長
Director, Jean Monnet Centre of Excellence for EU Studies at Keio University
問合せ(Queries):
fumifigo@keio.jp(事務局長:東史彦(Dr. AZUMA))
yhosoi@ner.takushoku-u.ac.jp(事務次長:細井優子(Dr. HOSOI))

de (GDPR) minimis non curat praetor

Dresden Oberlandesgerichtにより発行された決定4 U 760/19は、軽度の不法行為はデータ保護法では扱われていないと述べました。
これはGDPR分野への古いローマの格言 “de minimis non curat praetor”の応用です。
これは、「耐え難い苦痛」と「悪い評判」に基づく軽微な損害で実際に解決されている「プライバシー侵害」に対する多数の主張の強力な阻止であるため、非常に重要です。

さらに、この決定は、GDPR違反が実際に害を及ぼさないのであれば、データ保護当局がデータ管理者を処罰する可能性に挑戦するものです。

端的に言えば :イタリアのGDPRは完全な混乱を来しており

端的に言えば :イタリアのGDPR(General Data Protection Regulation :一般データ保護規則) は完全な混乱を来しており、それはまさにスパゲッティコードの輝かしい見本のようである。 Continue reading “端的に言えば :イタリアのGDPRは完全な混乱を来しており”

実際のロボットに法律を適用するのは正しいですか?

1950年、Isaac Asimovは物語を書きました。著名は”Runaround“。
そしてこれは彼がロボットに関する3つの法律について話した初めてのものです。
多くの”法律の専門家”が、この法律について話していますが、
実際のところ彼らが何を言っているのかは良く分かりません。
ロボットの3つの法律は耳ざわりの良いきれいな言葉で出来てはいますが、法的妥当性はありません。
間違いを理解するため、それを読むだけで十分なものです。

第一条 :ロボットは人間に危害を加えてはならない。またその危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条 :ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし与えられた命令が第一条に反する場合はこの限りでない。
第三条 :ロボットは前掲第一条および第二条に反するおそれのない限り、自己を守らなければならない。

ロボットは人間に危害を加えることなどできません。電子工学者とコンピュータープログラマーがそれを行い、そして法 的責任を負うのです。

この法律を実際に機能させるためには、そのような視点で見るべきです。

第一条: ロボットの電子工学者とコンピュータープログラマーは人を傷つけないように製品を構築しなければならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条: ロボットの電子工学者とコンピュータープログラマーは製品がユーザーの指示に従うように製品を構築する必要がある。ただし、与えられた指示が第一条に反する場合はこの限りでない。
第三条 : 前掲第一条および第二条に反するおそれのない限り、ロボットの電子工学者とコンピュータープログラマーは製品が自己破断しないように製品を構築しなければならない。

決してIsaac Asimovが間違っていたわけではありません。この科学者に、法的妥当性を有するものを書くという若干の意思が欠けていただけであって、 Asimovの物語に欠陥はないのです。
Asimovには、彼の宇宙の物語のために、文学的なトリックが必要だっただけなのです。

危険なのはむしろ、政治家やジャーナリスト、法律の専門家などがSF小説を使って実際の生活を規制しようとすることです。